20180629

刑務所に入りたくて犯罪を犯す人がいる。

もう社会で生きていけない、という人がそうなる。

その目的のための手段になってしまった被害者が浮かばれない。

しかし、これは切実な問題だなと思う。

 

この「社会」とはいったい何なのかと思う。

「国家」でもない。国家に属して生きるには、国家が定めた法律に従って生きていればよい。税金納めたりして。

しかし「社会」はそうではない。

明確なルールはない。でも、ルールはある。

その社会の構成員に受け入れられるか、拒絶されるか。

家族、学校、友人、職場、地域などなど、人のグループごとに社会はある。

社会ごとにルールは変わる。

しかし、日本社会全体を覆う膜のような「社会」もある。

それはマスコミや、ネット上の言葉によって流布される社会。

自分がどこの社会にも属することが出来ない=誰にも受け入れられないと感じたときに、人はどうしたらよいのか?

自分を変えるか、自殺するか、刑務所に行くか。

自分を変えられるなら問題は生じない。

人を殺すくらいなら自殺したほうがいいが、今の社会に適合しないから自殺しろとは言い切れない。今の社会に問題がないとはいえないからだ。

刑務所に行くには被害者を必要とする。これは最低。だが、現実的な抜け道がここしかないのかもしれない。

どこの社会にも属せない人間が生きる場所。罪を犯さなくても入れる場所。

そういう場所が必要かもしれない。

国がそういう施設を作ったら、税金で運営される以上、入所者は選別しなければならない。軽い気持ちで入られても困る。入所者は公民権ははく奪される(選挙権とか)。

いやーどうだろう。